タイムス住宅新聞「ひと」に紹介されました


沖縄タイムスの別紙、タイムス住宅新聞の「ひと」という欄で紹介していただきました!
「虹亀商店」としてはいろいろな冊子で紹介してもらってきましたが、「亀谷明日香」としては初めてな気がします。
タイムスの記者の方が二月頭に取材に来て、たっぷり二時間に渡って取材をしてくれました。
そのときの私のまとまりのない雑談を、きれいな文章にわかりやすくまとめてくださった記事がとても良かったので、ブログにも掲載させてもらいます!
沖縄の自然 紅型で表現
色鮮やかな自然や温かな人に魅せられ来沖して17年。「紅型で沖縄の自然を表現したい」と熱い思いを語る。
南城市にある自宅近くの店舗兼工房で手掛ける紅型作品は、Tシャツやタペストリー、あんどん、はたまたスマートフォン用のケースと幅広い。柄もさまざまだ。
布や和紙の上で、ヤンバルクイナやテーブルサンゴ、ガジュマルなどが踊るように生き生きと描かれている。
出身は東京の吉祥寺。高校一年生の夏、初めての沖縄旅行で本島や西表島、石垣島などを訪ねたのが人生の転機になった。
東京では見られない自然や出会った人、すべてが新鮮で、たちまち沖縄のとりこに。その後は高校の長期休暇のたびに沖縄を旅するようになった。
高校卒業後、何も決めずとにかく沖縄に移住しようとした。が、親から「まあ落ち着いて、目標を決めて行ってちょうだいと(笑)」。
もともと絵を描くのが好きで、高校時代は美術の専門学校へ通っていたほど。それを生かそうと、以前から心引かれていた沖縄の伝統工芸、紅型を県立芸大で学ぶことにした。
学びを深めるほど、紅型の奥深さに夢中になっていった。「型作りはとても繊細。半面、色付けは大胆にできるのが面白い」という。
次第に、伝統を大切にしながら、紅型をもっと多くの人にとって身近な存在にしたいという思いが芽生えてきた。そうして時に葛藤しながら、中国や日本本土の植物を模した古典的な柄とは一味違った、沖縄の自然をモチーフにした独自のスタイルを築き上げた。
ある時、作品を見た人に「古典的ではないのに、何でこんなに『紅型』らしいのと言われた」。最高のほめ言葉だった。
「沖縄を離れたら紅型は作れない。沖縄の空気を肌で感じるからこそ生み出せる」と話す。高校生のころに受けた感動は今も色あせず、さらに輝きを増して作品に生きている。
(岸科理子)
この取材を受けて、「いろいろなことがあったなあーー」と自分でも振り返ってみたり、いい体験でした。
久しぶりに写真を引っ張り出して眺めてみたり…。
なのでこのブログでは、そんな写真も一緒に載せてみようと思います!(笑)
まず、初めて沖縄に来た高校一年生

中学校のときの同級生、Sちゃんと二人で来たのが初めての沖縄でした。Sちゃんは絶対顔出し嫌がるけど、この写真ならあまり見えないから大丈夫だろう(笑)
そして、高校時代、バイトでためたお金で、長い休みの度に沖縄に来てました。こっからはひとり旅。

いつも三線を持って旅してたなーー

宿代を浮かすために、基本は一人用テントでキャンプだったー黒過ぎ!!

旧盆の祭にも参加したり
そして沖縄に移住。県立芸大時代。

若いなーーー

クラスメイトたち。座ってる金城先生の、右側にいるのが私。

記事の小さい見出しの中でも紹介されていましたが、卒業制作は屋台を作りました。
二つとない「紅型屋台」

あちこちに照明を仕込みました。琉球あんどんや照明看板の原点ですね。ヤドカリももういます。

実際にこの屋台を使ってあちこち出店とかもしてました。商品は紅型のものはまだほとんどなく、手作りのアクセサリーとかでした。
これは栄町市場の出店。

これは浜辺の茶屋の出店。ちびはニコ。この屋台は、でか過ぎて今は処分してしまいました。
そんなかんじで今に至るわけです。
「虹亀商店」という名前がつくのはこの後、八重瀬町具志頭にて第一店舗目のお店をオープンする時ですね。
そのときの話もまた、いつかしたいと思います。
さあ、11時!!
今日もご来店お待ちしています〜〜〜^^

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